シンポジウム『腐女子文化のセクシュアリティ』参加レポート その3

今回は石田氏の発表です。えーと、正直社会学的分野は専門でないので理解できなくて記憶に残ってない部分もあると思われます。更に、石田氏の発表は時間切れになってしまい、最後の結論まで辿り着きませんでした(苦笑)
とりあえず、とても印象的だったレジュメから少し引用しておきました。せめてもの補足になれば……。

「BLすること」と「社会的なもの」の間で 国際基督教大学ほか非常勤講師 石田仁

 秘めた悦楽はこのせち辛い社会に生きる人びとの、ささやかな楽しみである。(中略)だからある人びとにとって「BLする」実践は、「社会的なもの」からの逃避といえるかもしれないが、同時にそれは生きるための逃避であり、安全地帯を創造するかりそめの実践である。よそ者は、学者は、男は、余計な説明など加えるな、ほっといてほしい、という感情もあろう。
 しかしその感情は完全に正当化できないだろうな、とも私は考えている。生きるための逃避は、「社会的なもの」からの応答責任を逃れられることと同義ではない。なぜなら私たちのすべての振る舞いは、「社会的なもの」との関係においてのみ理解され、成立しうるからである。「社会的なもの」から隔絶した表現の真空域など存在しない。
(レジュメより)

表現されるホモ、BLに登場するホモ
  • BL空間に「ホンモノ」のホモが混ざるとどうなるか?
    • 告白して「おれ男だよー」と引かれる
    • 学校内でイジメにあっており「ホモなんだ。だから近づかない方がいい」という
    • 「セックスすることしか考えてないのか!」と罵られる
  • 男同士の恋愛物語であるBL内にもホモ差別はある
  • 場を乱すKYな存在として扱われる
  • 男がホモを嫌悪するホモフォビアといったものもあるが、少年マンガより少女マンガの方がホモを嘲るシーンは多い*1
  • ただし、BL内でも最近は変化が見られる
    • 「ホモなんだ」と告白されて、もしかして自分のことを?!とトキメク攻め(「田中鈴木『幸福の王子』)


  • このような、取り上げて遠ざけるといった表現は1990年前後のホモブームに似ている
    • 「よくわかるゲイ・ライフハンドブック」(1994)より、やおい叩きの記事? やおいを読む女子に現実のホモについてインタビュー。「美形同士じゃないといやだ」「見てないところでやってほしい」「兄弟がホモだったら困る。跡継ぎの問題とかあるし(笑)」
    • 女性誌の彼氏のホモ度チェック。「ノーマル<オカマ<ゲイ<SM<エイズ*2と書いてあるホモ度メーターで、女の子が彼氏を測定しているイラスト。エイズを恐れてか宇宙服まで着ている。脇には「何の根拠もありません」の文字。
  • 「同じ人間なんだ」と擁護することにより、差別・偏見が顕在化しにくい
「当事者(性)」は生産的な論点ではない
  • 最近、「腐女子」という言葉に「当事者(性)」を見いだすといった見方がある
  • この場合の「当事者性」とは、語りを奪われた人がそれを取り戻すために主張するもの、といったニュアンスがある
  • しかしこれは単に新しい女子文化を自分たちの領域*4に取り込もうとしているだけではないのか?


  • 「当事者」とは
  • 現在の意味で使われるのは、ゲイ・やおいブームの産物であり、もとは法律用語であり和語である*5
  • 元々は、訴え、訴えられる主体といった意味
  • 現在の意味での「当事者性」は戦略的に作られる


  • 昨今の「腐女子ブーム」で多く出ている腐女子を描いた本をメタBLと呼んでいる
  • メタBLにおいては、「腐女子」がひとかどの人間であることを示すために彼氏持ちであることが必要とされる*6
  • これはむしろ、当事者性の敗北と言えるのではないか
  • また、当事者性を前面に押し出すことは、内部階梯を生みかねない
    • どの程度「当事者」であるのか、どの程度「当事者」であれば語る権利を得るのか、など。*7
腐女子文化は「独自」の文化であるのか?
  • こういった文化は、フェンスの編み目のようにどこかからきてどこかへと流れていくものではないのか
  • 「受け」と「攻め」は本当にやおい・BL独自の語なのか?「薔薇族」にはSM的な意味での「受け」「責め」という語があった。これが転じたのではないか?
    • 1978年創刊の雑誌『JUNE』に「受け」「攻め」が初めて登場するのは1993年11月。少なくともやおい・BL界に初めからあった語ではない
  • また、カップリングを表す「×」の表現は、ショタDVDやゲイDVDでも使われるようになってきている



(ここで時間切れ。以下は断片)

  • BLはポルノ自体を脱構築するポルノである(?)
  • すべてをホモにしてしまえ!という表現 → そのことによって、歴史自体が「男」によって作られたことを暗示している(?)*8


質疑:当事者性を掲げているのではなく、当事者性そのものが私を離さない。降りようとしても降りられない。石田氏が問題にしているのは自立・従属の問題であって、メタBLにおける表現は当事者性の敗北とは言えないのではないか?
  • 当事者性とは戦略的に作られるもので、そうであるとして語っている。降りようとしても降りられない立場というのはあろうが、そちらに別の名前を付けるべきだと考える


所感

男性もBLや腐女子にコミットすることはできるのだな、とちょっと新鮮。ただしイケメンに限る(笑)
実際、素敵な服装(白シャツに黒ジャケット、クロスタイ)のメガネ男子でしたしね。
マンガ内でのホモの扱いについては、結局のところ、BLも実社会をなぞっているだけなのではないかなぁ、と。BL空間だからといって、無条件にホモが許されるわけでもない。まあ、最近はまるで悩まずにホモ化するBLも増えてますが。でもやっぱり、ホモに抵抗を持って悩んで、でも好きなんだ!お前だから欲しいんだ!となるBLの方が萌えも増すし「純愛」要素も増すのではないかなぁ。
メタBLに登場する腐女子については、やられた感が。確かにそうなのですよね……。
ディスカッションで言及していた腐女子の自覚の無さの指摘など、腐女子の立ち位置についての言及についてはかなりうなずくところがありました。

*1:筆者注:そもそも少年マンガにホモは出てくるのか?触れることさえ避けているだけでは?

*2:筆者注:うろ覚え……

*3:筆者注:完全に忘れました…上野千鶴子の言い分に対して、ちょっと違うと思う、と言及しながら、腐女子とは当事者性を帯びた言葉である、と言っていた…ような

*4:フェミニズム論争

*5:参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%93%E4%BA%8B%E8%80%85

*6:筆者注:メタBLの腐女子腐女子であることだけでは認められない?男受けも大事ということ?

*7:筆者注:多く読んでいる腐女子の方が偉い、書く腐女子の方が偉い、とかもありそう。

*8:筆者注:歴史はすべてがホモで男だけでも成り立つとかそういう意味?