シンポジウム『腐女子文化のセクシュアリティ』参加レポート その4

順番が前後しますが、最後に行われたディスカッションのメモです。
基本的には、参加者の質問に発表者が答えて、話を膨らませていく方式。質問と発表内容が一対一で対応していたものについては、各発表のまとめの後に加え、複数の発表者に向けられた質問をここにまとめました。

<ディスカッション> 腐女子文化のセクシュアリティ

自分は保健室医をしているが、BLは内向的に見えても攻撃性を秘めているような女子生徒に読者が多いように思う。彼氏がいなくて恋愛経験の無い子も多い。かつてあったエス*1の関係からBLに移行したのか?女性同士の恋愛ものなどはあまり見なくなったように思うが(参加者からの質問)
  • <守>

コミケ参加者にジェンダーアンケートをとった例があるが、比較的ジェンダーセンシティブな人が多いという結果が出ている。
女同士を描いたものには百合がある。レディコミの中にも女性同士のものもある。読んでいるのは女性同性愛者とは限らず、異性愛者の女性であったり男性であったりする。
中高生のBL受容については、言い出せるかどうかの問題もある。BLを読む層は本当に広くなっていて様々。たまたま告白してくれた生徒にそのような傾向があっただけではないか?

  • <金田>

一人や二人を見て、そうであるとは言えない。同人誌作りには社交性が求められるため、内向的というよりはむしろ大人びたしっかしりた子が多い印象。インタビューをしてもあまり物怖じせず、きちんと答える。
女性同士の関係を書いたものには、百合姉妹マリみてなどがある。百合ものの作者は多くの場合BLと共通で、男同士を女同士に変えただけ。読者層も一部共通している。

腐女子」と名乗る自意識には選民意識的なものや自虐的意識、攻撃性など様々なものが込められていると思うが、どうか
  • <金田>

発言している人や文脈によって込められる意味は違う。
元々、ネット上で使われ始めたことばだと認識している。(?)今でもネット上で頻繁に使われる。例えば、プロフィールで腐女子を名乗るというのはタグ的な意味づけを持っているように思う。腐女子的な話題を出しますよ、というような。腐女子内での見つけやすさであり、非腐女子避けである。
今では自虐性はかなり薄まっている。「腐女子ですけどなにか?」的な攻撃性も薄い。ある程度親しくなったり、知り合ったときに、相手の反応を見るために使ったりもする。
腐女子以前にも、「JUNE少女」「同人女」などやおい・BLを愛好する女性を表す言葉はいくつかあったが本質を的確に示しておらず、定着しなかった。*2 そういういみで、タグとしていいのではないかと思っている。

  • <石田>

自分は「腐女子」という言葉には否定的。
腐女子の本懐』に「腐女子だとは絶対にバレたくない。隠れ腐女子の辛さは耐えている本人にしか分からない」といった話がある。そんなに辛いのか?バレたら死ぬのか?
BLに「アラブもの」というジャンルがある。(砂漠ものともいう)何故攻めはアラブの王子様なのか?アラブ周辺は厳格なムスリムで、リアルにホモがばれたら死ぬしかない。腐女子はカムアウトしても死なないよね?
腐女子」というものが巨大な市場を作っていることに、腐女子自身が自覚的で無いことが問題。
Mark of Otherness(他者性のしるし)といった言葉がある。*3 *4
BLでは、女が女でないもので楽しんでいる。それは事実。そしてそこから経済的な利潤を得ている人びとがいることにもっと自覚的になるべき。
経済に関わり、社会的に影響を与えている以上、「隠れ」だとか「そっとしておいてください」といった言葉では済まない
文化的コンテクストを外して語ることには否定的にならざるを得ない。

  • <守>

ポルノというのは力の落差が大事で、アラブとか鬼畜生徒会長ものもその延長線上にあるように思う。表現としては、身分の差別的落差、権力落差などが使われる。これは差別と紙一重である。そのような差別的表現を含む以上、作り手には応答責任があると思う。そのままでいいわけではない。当人が何を求めているかとは別次元で、発展する議論もある。例えば社会的コンテクストで語るなど。

「受け」と「攻め」について
  • <守>

面白いのは「受け」と「攻め」は対立していないこと。「攻め」の対義語であれば「守り」。役割分担を表している。読者がどちらに感情移入するかも、簡単には分けられない。普通の小説で単一の登場人物にだけ感情移入することが少ないように、必ずしも一人に感情移入するとは限らない。
(ここで残念ながら筆者が時間切れにて退出)

所感

金田さんの腐女子「タグ」説には同意。
石田氏の、アラブはばれたら死ぬしかない、には笑った。が、じつは笑っちゃいけないのかも。確かに色々な意味で、腐女子は自覚的にならなければならないところに来ているように思う。自身が語らないのであれば、他人の語りを拒否することはできない。他人の語りまで拒否し、「自重」させようとするのであれば、それはもう他者への抑圧でしかない。
色々な抑圧を自覚して、自意識を乗り越えて、自分たちが楽しんでいるものが何かを知れば、また腐女子は強くなれるのではないかなぁ。そのことによって、世知辛い世の中を乗り越えるためのファンタジーを幾分か失う可能性はあるにしても。
しかし、何故腐女子はかくも隠れたり叩かれることに過敏になるのだろうなぁ、と思っていたら、こんな記事を見つけた。
萌えプレ:隠れ腐女子が増えてゆく
腐女子がどこか罪悪感があるというのは否定しない。それは女性がエロを楽しむ事への抑圧からくる罪悪感や羞恥心に加えて、男性または男性キャラを欲望(萌えにしろ性的にしろ)のままに「消費」していることに罪悪感を感じるからではないかと思う。まあ、その背徳感がまたいい、なんて意見もあるわけだけど。
表面上は慎ましくよそおい、裏では罪悪感や背徳感を楽しむ、という態度は本当に腐女子にとって都合がいいのかも。でもそのことによって、更に「消費」することにはならないのかなぁ。。。
ところでポルノを読む男性はエロを消費することに罪悪感や背徳感は感じないのだろうか?少なくとも「自分では無い性」を消費している点では、同じだと思うのだけど。

*1:筆者注:女学生同士などの同性愛関係。Sisterの頭文字

*2:少女って歳じゃないし…、とかやおい好き=同人好きでもなかったりする

*3:筆者注:社会学の論文か何かからの引用?アメリカの音楽が、黒人文化などのアフリカ性を付与しないと売れないとかなんとか……

*4:2008/12/6追記:出典 Steven Feld,'Notes on "World Beat"',Public Culture 筆者はコロンビア大の音楽と人類学教授