シンポジウム『腐女子文化のセクシュアリティ』参加レポート その5
最後になりました。金田さんの発表です。やおい同人誌に主眼を置いて、やおいパロディ「文化」について語る感じ。よしながふみなど、古参同人作家の作品や雑誌などでのコメントを引用しつつ語っていましたが、さすがに全部メモは取れませんでした……。
自分としても比較的馴染みのある内容だったので聞き流してしまったという部分もあるかも。というわけでちょっと薄めです。
やおいパロディにおける腐女子の規範と可能性 法政大学非常勤講師 金田淳子
パロディとは
- 1,モトネタ作品の作者とパロディ作品の作者が違うと読者が認識している
- 同人誌の表紙を提示。モトネタの作者が書いていると思うひとは当然いない。
- 2,モトネタが読者に認識されている
商業作品におけるパロディ
やおいパロディとは
- モトネタではそのように描写されていないものに、恋愛関係などの意味づけをして楽しむ
- 今は「萌え」と表現されるが、以前は「ボンノー(煩悩)する」などと言った
モトネタになりやすいジャンル
やおいパロディの楽しみとは
- 1,物語の新解釈 → モトネタから証拠*3をかき集めて、「そういうふうにも見えるよね」という新しい物語を作る
- カップルの過去や未来、行間ならぬコマ間の物語
- より説得力のある物語に人気が集まり、共有されていく。特に影響力のあるものを「学説」と呼ぶ(byよしながふみ)
- 2,キャラへの愛(性的な意味で)
- 愛し愛される二者の関係への介入
- 関係性それ自体への欲望
- (キャラを)攻めたい欲望
- (キャラに)受けたい欲望
腐女子の規範
- やおいパロディならなんでもありというわけではない
- いくつかの「現実と虚構」の境界線があり、そこを侵してはならないという暗黙の了解がある
- 1,原作/パロディ
- 必ず原作が上位。ここを越えると、腐女子内部からも批判を浴びる
- 原作者に同人誌を送りつけるなどというのは最大のタブー*5
- 銀英伝 田中芳樹激怒事件(80年代後半)
- ジャンプ編集部の苦言(80年代後半)
- 先生方やキャラクターをこれ以上悲しませないでください!
- 『ユリイカ臨時増刊号 特集・荒木飛呂彦』(2007年11月)の金田・荒木対談
- 荒木飛呂彦の前でやおい妄想を展開した金田に非難が集中した
- Amazon CAPTCHA
- 荒木先生は笑って流していたが、実は激怒していたんじゃないか、と言われた。荒木先生にうかがったところ「怒ってない」とのことだったが
- というか、今日ここに荒木先生が来ている。公衆の面前で罵倒するためにいらしたのですか?(笑)(←かなり冗談めかしたかんじ)*7
- 荒木飛呂彦が最前列に。立ち上がって挨拶するも、ノーコメント。
- 2,非やおい/やおい
- 3,現実のセクシュアリティ/虚構のセクシュアリティ
- 男性キャラの心理のリアリティ。男性作家が描いた作品の方が萌える。
- リアルな関係の上に、ありえない(けどあるかもしれない)関係を妄想するのが萌える
- 女性作家が書いている作品だと、わざとらしかったりして萌えられないことがある。*8
所感
金田さん延々萌えてたような。合間合間に結構同人誌も持ち出していましたし。キャプ翼の説明のところでは、原作を持ち出してキャラを解説してみたり。金田さんは健小次、小次健どっちなんだろう。
荒木登場にはかなり会場が沸きましたね。。。(自分はジョジョは読んでないのであれですが……って言うとどっかからまた怒られそうだが)
パロディ=首都圏文化説は個人的には疑問。自分が中高生の頃にはもうコミックJrとかで同人誌通販できたしなぁ。アンソロジーもかなり出てたし。まあ、さすがにそれ以前となると分かりませんが。キャプ翼の頃なんかはそれこそ首都圏文化だったの、かも?
好きなキャラ=受け、ってのも個人的には違和感ありますね。自分はどっちかというと攻めキャラに萌えるので。ブレットさんとか不破くんとか(笑) まあでも、「総受け」というのが存在するのは、確かに「好きなキャラが(性的な意味でも)愛されまくって欲しい!」の文脈なのかも。
まとめと私見
BL読みの腐女子でありながら、BL研究だの腐女子研究だのの話題は避けていたので、結構新鮮でした。
腐女子は何故男同士の恋愛小説を楽しむのか。男同士の関係に妄想するのか。「遺伝子です」とか言っちゃうのもありだし、「どうせ分からないんだからほっといてよ」というのもありだけど、学問的視点から解体するというのも面白いと思います。
石田氏について、「ただしイケメンに限る(笑)」とか書いたことについてブコメがついてましたが。でも、会場で「あんなの(純愛だからいいとか)嘘だよね〜」と笑っていた男性に比べれば、石田氏はずっとイケメンだと思うわけです。容姿がどうのとかでなく。
BL読みに対する偏見(腐女子は恋愛/性が怖いからBLを読んでいる、純愛とかいってエロを楽しんでるだけだ etc)はある点正しいと思います。少なくとも、今の社会で言われるところの「正しい恋愛」「楽しむべき恋愛」みたいなものに違和感を持っていたり距離感を持っていたりする人間は腐女子には多いと思う。正直なところ、自分もいまだに大文字で語られるところの「THE 恋愛」には違和感しか持てない。
でもそれをもって「臆病者!」とか「異常だ!」って感じで見下すのはやっぱりおかしいんじゃないかと。そもそも臆病なのは責められることなのか?ちょっとばかり「現代の価値観」に適応した恋愛ができないからって異常なのか?恋愛できないと正常じゃないのか?とか色々ツッコミどころがある。 *9
そもそも、腐は大抵の場合隠れたがっているわけで。何故かと言えば、(女性が性的なものを楽しむことへの抑圧だの、罪悪感だのもあるけれど)本人もそれ(大文字の「恋愛」に適応出来ないこと)が何か悪いことのように感じてしまう面があって、それはやっぱりそういった価値観を内面化してしまっているからで。それをその上、男性からも叩かれればさらに引き籠もるしかないでしょう。
そもそも、安心して読めるイデアとしての「純愛」や「純愛」の皮をかぶせたエロでないと楽しめないようなところに女性を追い込んだのは、誰なんだ?と聞きたいですね。 *10
とはいえ、女性(しかも学問で生計を立てているような、ある意味<強い>女性)が腐女子を擁護すると、どうしてもフェミの臭いが漂ってしまって。それ自体悪くは無いけど、マイナスになってる面もあると思うわけです。フェミには良くも悪くも、既に付いてしまったイメージや何かがあるので。
一方、男性が腐女子に言及するのは、男性性ゆえに答えを留保せざるを得ない面はあるけれど、フェミの臭いが避けられるという点では、有効なのかな、と。ただし、無遠慮な男性に「お前らエロが読みたいんだろ?」なんて言われた日にはやっぱり、腐女子は傷つくし、防御態勢に入ってしまって聞く耳を持ちません。腐女子の主観は腐女子にとっては真実なわけだから、それを否定から入るというのはね。腐女子の主観を主観として認めた上で、きちんとキワモノではない学問対象として向き合ってくれないと、腐女子の反感を買ってしまうでしょう。そういう意味で、「ただしイケメンに限る(笑)」なわけです。そいうい意味では、座長の加藤氏も十分イケメンでしたよ。
容姿も重要ではありますけどね。特にああいった場では。脂ぎったオヤジに上から目線で話されるよりは、若くて爽やかな学者さんに笑顔で語ってもらった方が好印象なのは事実だ。
あと、百合マンガ家=BLマンガ家、というのに驚いていた方にはこの辺を。
*1:筆者注:商業パロディとして紹介されたように記憶しているが、ググった結果では同人誌?しかし超読んでみたい。
*2:筆者注:富野さんの間違いではないかとご指摘いただきました。多分そうです。修正します。
*3:シーンやせりふ、設定
*4:モトネタのキャラクターと、やおいパロディにおけるキャラクターを提示
*5:筆者注:中には同人誌を欲しがる困った原作者もいたりしますが……
*6:ComicBox1988年11月号P53<(インタビュアー)同性愛趣味というのは、女の子のファンの間で大きな影響力がありますね。(田中)その様ですね。はっきり言っちゃうと、男性が女性を暴行する様な場面だったら嫌悪感を示す様な人が、何で男同士だったら耽美だと受け取るのか判らないね。それは、男同士ってことは女性は絶対被害者にならずにすむから、自分だけ安全な所にいてセックスをおもちゃにしてるんじゃないかと思うことがあります。自覚があってやっている訳じゃないんだろうけど、自分の作ったキャラクターを同姓同士のポルノに使われて。自分の子供を強制的にポルノに主演させられて喜ぶ親がいると思っているのでしょうか。著作権どうのこうのというのは非常にイヤなんだけど、少なくとも原作者の所に郵送するなよ、と言いたい(笑)。>
*7:筆者注:2008/12/5 文言修正
*8:筆者注:とかいいつつ、「ホイッスル!とか大人気でしたけどね。
*9:まあ実際、女性は恋愛が出来て一人前のような空気はあって、それが一部の女性を苦しませるわけですが。デキる女は「仕事も恋愛も」なわけですよ。男なら「仕事もプライベートも」とかで、「プライベート」は趣味でもいいのに。で、この辺の結果として石田氏の言った「メタBLの敗北」があるのでしょうね……。デキる腐女子は腐な趣味も恋愛も両立させなきゃならない。むしろ恋愛が出来ないと痛くてネタにもできない(もしくはかなり戯画化したネタにしかできない)、とかそんな雰囲気はあるように思います。
*10:いやもちろん、女性もそれに加担はしているんですが。