『密やかな教育 前史』石田美紀

密やかな教育―“やおい・ボーイズラブ”前史

密やかな教育―“やおい・ボーイズラブ”前史

竹宮惠子のマンガ、栗本薫/中島梓の小説、そして雑誌『JUNE』の創刊と次世代創作者の育成…。“やおいボーイズラブ”というジャンルもなかった時代にさかのぼり、新たな性愛表現の誕生と展開の歴史を描ききる。竹宮惠子氏、増山法恵氏、佐川俊彦氏へのインタヴューも収録。

竹宮惠子萩尾望都が描いた少年愛とその源泉となったヨーロッパ文学、稲垣足穂の「少年愛」、三島由紀夫と少女マンガにおける少年愛の比較、栗本薫の存在、雑誌『JUNE』の誕生、と時代を追いながら「女性による女性のための男性同士の性愛物語」について、当事者視点から詳しく語られている。一次資料への言及も多く、参照文献もきちんと示されているのが嬉しい。
これを読んで分かるのが、文学に負けない、質の高い「少女マンガ」を作ろうという課程で、少年愛を扱う作品が生まれ、育ってきたということ。「少年愛」が目的ではなく手段だったわけですね。で、何故少年愛が選ばれたかについては、萩尾望都のことばが凄く分かりやすいので引用。

男の人と女の人を出してくると、全然別個の人間ですよね、性も違うし。だから、対応がいたってマジになるというか、現実的になるというか、そういうところがあるわけですね。ところが同性だと、けっきょく自分の分身みたいなものでしょう、どれにしたって。だから一種、思考的にすごく遊べるんですね。だから、これは女の子同士でも男の子同士でも、わたしはかまわないわけ。単に、女の子同士にすると、自分が女の子でしょう、いやらしさがすごく見えてくるわけです。その分、男性だと知らない部分が多いので理想的にかけるもんでね。それでそっちになっちゃうわけです。
(p152)

あとJUNEの元編集長、佐川さんの言葉。

女の子ですから基本的に男が好きなわけです。綺麗な男ふたりでお得ですし、なによりも嫉妬しなくて済みますよね。(中略)そこで思ったのは「女の人はゲイの前で皆平等」、自分が選ばれないかわりに、他のどんな女性も選ばれない。それが心地よいのだと思います。
(p342)

これは多分、今やおいだのBLだのに対して言われている、「何故男同士の恋愛ものを読むのか分からない」という疑問にも答えうるんじゃないかなぁ、と思います。創作でまで、汚い部分とか見たくないわけですよ、なるべく。理想化した「恋愛」で遊びたい。分からないからこそ、理想化できる。
もちろん、今のやおいやBLは少年愛の直線上にあるわけじゃないけど、そういう部分は多分に残していると思う。


むしろ自分なんかは、男女の恋愛ものはともかくとして(あれは半分くらいやじうま根性で読むものだと思ってるし。友人の恋愛にちょっと深めに首を突っ込む感じ?)、ドリーム小説*1で萌えられることの方がよく分からない。だって自分ですよ?相手が理想の男性だろうが大好きなキャラクターだろうが、失礼じゃないですか。分不相応っていうか。理想世界に自分が入った瞬間、そこは理想世界じゃ無いでしょ。自分の醜さは自分が一番知ってるものです。……というのはさておき。


で、その後栗本薫という作家が生まれ、JUNEが戦略的に作られていき、「エンターテイメント教養」として育っていく、と。例えばガンダムなんかと同じように、JUNEだのやおいだのは「分かるよね?」という暗黙の了解による娯楽的部分が多いわけで、JUNEの求める「教養」とは少年愛の源泉となったヘッセであり稲垣足穂であり所謂文学的教養であった、と。この辺は経験したわけではないので、「そうか〜」という感じ。
JUNE創成期の栗本薫の八面六臂の活躍っぷりとか、かなりびっくりです。あと、栗本薫が「僕」作家だったとか、そこに関する分析とかも興味深い。
あとは、少年愛マンガが「美少年」ばかりな件とかも。「容姿だけでなくキャラクターの魅力(声とか性格とか能力とか)を美しい外見で表現しているんだ」とか。「あるある」とか「こう言語化すればいいのか〜」のオンパレードでした。少女マンガからは離れるけど、三島由紀夫が「美しい肉体」を求めた理由とかも面白かった。後半のインタビューにあった「JUNEは男が作ってたけどBLは女が作ってる(編集者的な意味で)」ってのも突き詰める余地がありそう。


というわけで、とてもよい本でした。
価格と厚さのわりには(というのも変な表現だけど)すごく読みやすいし、頭に入りやすいし。お買い得だと思います。

*1:キャラクターの相手役に好きな名前をあてはめて生成できる小説。主に読者の名前を入れることを想定されている。場合によっては別の男性キャラ・女性キャラを入れる場合もある