「愚者の道」 中村うさぎ

愚者の道

愚者の道

中村うさぎがこれまでの半生を振り返り、自身の歩いてきた道を分析・解説するという形のエッセイ。
この本の冒頭で、筆者は自分は”愚者”であると自覚するのだけれど、その後の文章では一人称が”愚者”となっているのがちょっと面白い。そのことによって、エッセイという一人称的な形態であるにも関わらず、三人称的な雰囲気が出て、しかもそこで加えられる分析があまりにも客観的なので不思議な気分になる。
これを読んで感じたのは、中村うさぎの自分に対する過剰なまでの客観性(≒自意識?)への驚きと、それをここまでさらけ出せることへの驚き。それと、もしかして普通の人ってここまで自分を客観分析しないのか?という疑問だったりする。何故かというと、私自身が中村うさぎほどではない(…と思う)が、常に自分の言動・思考に対して客観視点を持っている人間だから。
少なくとも私の場合、常に自分の中に自分を傍観している自分’がいる。(下手をすると、更にそれを傍観する自分”もいたりする。)例えば、行動を決めるとき、最終基準になるのはそれを自分が本当にやりたいかどうかよりも(というか、場合によってはこういう主観的な判断が出来なかったりする……)、それが自分’から見て自分らしいかどうかだったり、その行動を取ったら後の自分はどう感じるかだったり。ある言動をした一瞬後には、自分’がその言動の裏にある自分の思惑を分析して厭になってみたり。そういうことって、意外と少ないのだろうか?他の人は。(因みにこの言動の裏では、「自分が特別だったらちょっと嬉しいけど、そんなわけないよね、てかこれっていい特別?悪い特別?つか、自分を特別だとか思いたがるなよ、自分」というような自分’(および自分”)の思考が渦巻いている)
まあ、それはさておき。そんなわけなので、中村うさぎの気持ちが少し分かる気がした自分なのでした。もちろん、中村うさぎに比べれば、自分’という名の理性が行動をやたらと抑えようとするので、彼女ほどの過剰な行動には出られないけど(多分)そして例えお金になろうと絶対に自己分析をここまでさらけ出せないけれど(それは自分らしくないからね)。考え方とか、自己分析の視点に妙に共感がもてたというか。
今後「自分」を考える上で、いい手がかりになりそうな一冊です。古本屋で気まぐれで手に取ったのですが、思わぬ拾いものでした。