石持浅海――オープンなクローズドサークル

※ミス研の部誌に掲載した作家レビューです。


二〇〇二年、『アイルランドの薔薇』でKappa-One登竜門を受賞し、遅咲きのデビューを果たしたこの作家は「変な設定で警察を呼ばない作家」と言われる。実際、現在までに発表された長編七作(二〇〇六年三月現在。合作を含む)の中で、まともに警察が登場している作品はたったの一作しか無い。
とはいえ、本格ミステリにおいて、「警察を呼ばない」こと自体はそれほど奇異とは言えない。むしろ作家達は、いかにして「警察を呼ばない」かに知恵を絞り、嵐の山荘や絶海の孤島といったクローズドサークルを創り出してきた。だがしかし、これまでのクローズドサークルが、孤立した山荘や孤島といった特殊な場所を嵐という絶対的な力によって隔離することによって「日常」を排除したものだったのに対して、石持浅海はこの本格ミステリ的な「警察を呼ばない」ための「閉鎖状況」を「日常」の中に持ち込んでしまったのである。
例えば、『アイルランドの薔薇』では街道からたった数分のところにある宿屋を、『水の迷宮』では営業中の水族館をクローズドサークルの舞台としてしまった。しかも『水の迷宮』においては、水族館の観客達を「日常」側に残し、観客達と同じ館内にありながら事件の当事者となる職員達だけが、閉鎖状況に巻き込まれるというアクロバティックとさえ言える状況となっている。
もちろん、このような状況において、内と外を隔絶するのは物理的な嵐などではあり得ない。石持作品において、内と外を隔絶するのは最終的には登場人物たちの意志である。様々な理由で、登場人物達は内輪で事件を処理することを決意する。そして、登場人物達の決意に説得力を持たせるための設定こそが、石持浅海の真骨頂であり、「変な設定で警察を呼ばない作家」と言われるゆえんでもある。『アイルランドの薔薇』であれば、政治紛争の絶えない北アイルランドを、『水の迷宮』であれば夢を共有する職員達が働く水族館を舞台とし、その背景を時には社会派推理小説とも思えるほどの濃度でストーリーに反映させて、登場人物達独自のロジックを作り上げることにより、人の意志によるクローズドサークルという、頼りない状況に説得力を持たせてしまうのである。──とはいえ、やはりこのような設定は万人に受け入れられる物ではないようで、読者の中でも好き嫌いの分かれる部分となっているようであるが。
さて、「変な設定で警察を呼ばない」作家、石持浅海は現時点での最新作である『扉は閉ざされたまま』でもやはり警察を呼ばなかった。しかも、高級住宅街の中にあるペンションの内部と、更にその中の「開かれない」密室という、二重の閉鎖状況までもを作り出してくれた。遅れてきたクローズドサークル職人、石持浅海。彼がどこまでクローズドサークルを進化させてくれるのか、これからが楽しみである。