横溝正史──因習と退廃に隠された論理

※ミス研の部誌に掲載した作家レビューです。

 山陰の因習に囚われた旧家、不気味な登場人物と妖しい美女、そして血みどろの見立て殺人。横溝作品のイメージといえばこんなところだろうか。
 戦後復興華やかなりし東京、絡み合う男女の愛憎、成功者と敗北者、そして陰惨な殺人事件。映像化作品が少ないこともあり、あまり広く知られてはいないようだが、これもまた横溝正史が好んで描いた世界である。
 そんな、極端なまでに日本的な因習と、その対極にあるような華やかさの中にある退廃、これらが現実に同居していた時代、それが横溝正史が活躍した戦後の日本だった。
 横溝正史はよく、日本の「本格」の典型のように語られる。この場合の「本格」とは「現実離れした世界での荒唐無稽な事件」というニュアンスを多分に含んでいるように思われる。確かに、横溝の描いたこれらの世界は現代の私たちにとっては、馴染みが無いどころか時には異国の物語にさえ思える。だがしかし、これらの物語が描かれた時代、美女と殺人事件はさておき、確かにこの日本のどこかにそのような世界が存在し、当時の読者にとっては、少なくとも私たちがかのオウム真理教事件を語るくらいには(少し古いか?)リアルな物語だったのだ。
 そのような視点を持って、横溝正史の作品から時代背景を取り除いてみると、そこに残るのは巧妙にして大胆な犯罪と論理的(ロジカル)な推理である。
 例えば、これはあまりに有名かもしれないが、『本陣殺人事件』においては日本家屋では不可能と言われた密室を、機械的なトリックで作り出している。また、(ネタバレとなりかねないので作品名はあえて伏せるが)多くの作品において、一人二役や男女の入れ替えといったトリックも用いられている。更に、横溝作品の代表作の一つでもあり、古き因習を扱った作品としての印象が強いであろう『犬神家の一族』でさえ、探偵でも警察でもない登場人物が、指紋の照合で人物の入れ替わりを検証することを提案する場面まであるのだ。これを論理的と言わずして何を論理的と言おう。……というのはさすがに言い過ぎか。
 ただ一つ、動機に関しては現在の私たちには納得しかねるものが多いのは事実だが、「本格推理」において動機は決め手とならない、というのはお約束である。
 単なる風俗小説ではなく、無機質なパズルでもない、「本格」のエッセンスと当時の風俗の見事な融合。それこそが横溝作品の魅力なのである。因習と頽廃の世界から生み出された道具立てが、本格ミステリを華やかに飾り、そして本格のエッセンスが、それらの道具立てを更に妖しく輝かせているのだ。