BLとBL読みを貶めるのもいい加減にしてもらいたい。


※11/13 追記 補足記事を書きました。※


どうも、最近一部でのBLへの言説が酷い。発端になった事例に興味があったため、いままで追いかけていたが、ここまで言われては黙ってはいられない。BL読みの立場から、多少なりとも反論してみたい。(反論になりきれるかどうか、分からないが)

発端はこちら。

公共図書館にBLを所蔵する事への市民からのクレームであり、これを発端にして、BLの図書館への所蔵の是非、既に所蔵しているBL本の処遇などでそれなりに盛り上がっている。先日は上野千鶴子率いる市民団体(?)が不当な蔵書の処分に繋がるとして、監査請求なども出したらしい。
これはこれで、図書館的にとても深い問題なのだけれど、それはそれ。気になる方は、この辺とそのリンク先でも読んでおいて下さい。

あとこのへんとかも。


問題は、話題が広がるにつれて酷くなっているBLへの誤解と、それを煽っているとしか思えない報道である。
まず、発端の「市民の声」から。

現在、北図書館・南図書館・西図書館・中図書館という堺市の4つの大きな図書館において、一般に「BL(ボーイズラブ)」と称される少女向け男性同性愛の本が大量に開架されています。男性同士の性愛行為の描写まであり、しかも、そのような内容が一般に少女向けの本であることには驚きを隠せません。本の表紙は表も裏もともに「男性同士が抱き合っている・キスをしている」などの絵であり、多くの一般市民が利用する公共の施設に、このような破廉恥な表紙の本を一般図書と同じ書棚に並べて大量開架するとは、セクハラ以外のなにものでもなく、子どもに対する影響を心配する親のことをまったく考えていないという他ありません。

まあ、長いうえに分かりにくいので要約しよう。

一般に「BL(ボーイズラブ)」と称される(略)男性同士の性愛行為の描写まであり、(略)本の表紙は(略)「男性同士が抱き合っている・キスをしている」などの絵であり、(略)このような破廉恥な表紙の本を(略)開架するとは、セクハラ以外のなにものでも(略)ないという他ありません。

まだ長いか。

「BL(ボーイズラブ)」と称される(略)破廉恥な表紙の本(略)

これは、BL読み(あえて、腐女子とは称さない)にとっては侮辱としかいいようがない。
何なら例をいくつか挙げてみよう。日和ったりはしない。BL専門レーベルのものだけ拾ってみた。

交渉人は疑わない (SHYノベルズ)

交渉人は疑わない (SHYノベルズ)

リボンの日をときどき (二見シャレード文庫)

リボンの日をときどき (二見シャレード文庫)

最後の1冊は、「本の雑誌」にも取り上げられた、書店を舞台誌にしたBLである。
破廉恥、だろうか。とてもそうは思えないのだが。
確かに、このようなものも、ある。
蜘蛛の褥 (f‐ラピス文庫)

蜘蛛の褥 (f‐ラピス文庫)

淫らな結婚アドバイス (LAPISmore)

淫らな結婚アドバイス (LAPISmore)

極道の花嫁 (ガッシュ文庫)

極道の花嫁 (ガッシュ文庫)

しかし、これが全てではないし、まったく着衣が無いということは、まず無い。*1
また、このような比較的過激なイラストが増えてきたのは、ここ5年程度のことである。以降取り上げる記事にもあるが、図書館側もイラスト等の過激化を憂慮しており、ここ数年は購入を控えていたという記述がある。配慮がまったく無かったわけではない。*2

さて、次がこれだ。

残念ながら元記事はリンクが切れてしまっているのでキャッシュで。

「BL(ボーイズラブ)本」というものをご存じだろうか。高校生風の若者が表紙を飾るが、コミックではない。 男性同性愛を扱った少女向け小説だ。 この夏、堺市の市民が、性描写があり過激なイラストもある「BL本」を公立図書館が大量に購入して、 開架するのは青少年育成からも不適切と抗議、改善と実態の公表を迫った。

この時点で明らかな事実誘導があることに注意。堺市の図書館は約20年間の間に購入した結果、5500冊に至ったのであり、今年の夏に大量購入したわけではない。

そして、問題はここ。

この件について、水ノ上成彰・堺市会議員は「BL本の中身、イラストを初めて見たが、実質的にポルノ本だ。 男女間のセックスを扱ったポルノ本の購入を禁じていながら、男同士のセックスを扱ったBL本購入を容認するのは、おかしい。 青少年健全育成の視点からも、公共の図書館からポルノ本に類する書物は処分すべきと考える。

見たって、なに? 小説を「見た」と。つまりそれは表紙と挿絵を「見た」ということ? 小説を「読み」もせず語ると?
そして、BLは「男同士のセックスを扱った」本ではない。「男同士の恋愛」を扱った本だ。男女間のセックスシーンが含まれるからと言って、村上春樹村上龍花村萬月の作品を「ポルノ」と称するのか?

そしてついに、朝日新聞に取り上げられる。まあ、さすがに比較的大人しい論調ではある。

BL小説は作者も読者も主に女性で、文章の合間に、1冊で計数ページの挿絵があるのが一般的。堺市立図書館では全裸の男性が抱き合ったり、下半身に顔をうずめたりしている挿絵がある作品も扱っているが「1冊あたり1、2ページに過ぎず、大阪府条例の有害図書にあたるものは一切ない」としている。

有害図書にはあたらないとしながら、何故わざわざ条例を持ち出すのか。
ちなみに条例の定める有害図書とは、

書籍・雑誌・DVD等であって、全裸若しくは半裸での卑わいな姿態又は性交若しくはこれに類する性行為で規則で定めるものを掲載するページ(表紙を含む)の数が、総ページの5分の1以上又は30ページ 以上を占めるもの。

これを読む限り、明らかに漫画や写真雑誌を意図しており、そもそも小説の所蔵基準に引き合いに出してくること自体がおかしいのではないか、とも思える。

この記事までくると、既にBLを読む女性を貶める意図しか見えない。

大阪府堺市堺市立図書館に所蔵されている計約5000冊ものBL(ボーイズ・ラブ)本をめぐり、ワイセツ論争が勃発(ぼっぱつ)している。男同士の倒錯した恋愛を描き、女性版オタク「腐女子」の定番愛読書ともされるが、その中身はエロ本もびっくりの性表現のオンパレードなのだ。アキバ系な女子を夢中にさせるめくるめく妄想ワールドが、なぜ市立図書館で展開されていたのか。

初っ端から「ワイセツ」呼ばわりだ。最初の「市民の声」では「破廉恥」だったものがいつの間にか「ワイセツ」になっている。破廉恥と猥褻ではずいぶんニュアンスも違うように思うのだが。
また、男同士の恋愛は倒錯しているらしい。では日本古来の衆道は、脈々とあった少年愛は、倒錯しているのだろうか?
しかも、記者の中では

らしい。

と言い換えればその酷さが分かるだろうか。このようなレッテル貼りに不快感を持つオタクは少なからずいるだろう。オタクにだって、いろんなオタがいるのである。声優オタだっているし特撮オタだっているし、それがアニメオタを兼ねていたりもする。
オタク=アキバ系というのもいい加減にしていただきたい。でもってアキバはどちらかといえば男オタの街だ。

そして後半。

その中身もスゴイ。表紙に描かれるのは一見少女漫画風イラスト。
 だが、ひとたびページを開くと本番も変態セックスも当たり前のキワドイ絡みがズラリ。シチュエーションもガテン系から気弱なサラリーマンまで多種多彩。あらゆる男同士の性生活を描く。

そもそも、BLの挿絵は少女漫画風とは言い難い。それは上に挙げた表紙からも分かるだろう。女性向けではあるが、少女漫画とは言い難い。
ひとたびページを開くと〜、とあるが、全てのBLに濡れ場があるわけではない。講談社X文庫、Chara文庫などは濡れ場の無いものも多い。つまり明らかな事実誤認、もしくは歪曲だ。
というか、あえて言わせて貰えば、この記事の書き手にとっては、男同士のセックス=変態セックス、なのではないだろうか。そんな邪推さえしたくなるほどの悪意ある書き方だ。
男性向けのエロ小説でも、女性向けのレディコミでも、1から10まで「普通」の濡れ場なんてあるのだろうか? 多少の逸脱があり、ファンタジー性があるからこそ、架空のものとして楽しむのではないか?
そして、改めて言おう。BLが描くのは男同士の恋愛であって、男同士の性生活では無い。
一時期、1冊殆ど濡れ場しかないような作品を出したレーベルもあったが、短い期間で潰れていった。あくまでも「架空恋愛小説」である以上、人間関係と精神性が描かれていなければBL読みには受け入れられないと言っていい。

BLはポルノでは無いし、ポルノの「ようなもの」でも無い。
そこにあるのは、決して自分たちには手に入れられない「関係性」への萌えであり、その象徴である行為への萌えなのだ。
男性が百合小説や女子校に夢や萌えを見るように、BL読みが決して現実にはありはしないBL小説や男社会に萌えることが、そんなに貶められなければいけないことだろうか?
上記の記事の引用、殆どは「男同士」を「男女」に置き換えれば美少女文庫のようなジュブナイルポルノ、「女同士」に置き換えれば百合小説への言説として通じる気がするのですが。ジュブナイルポルノや百合小説を読むのは、貶められるべきことなのか?
そんな自由も認められない社会なら、さっさと滅びてしまえばいいのに。


※11/13 追記 補足記事を書きました。※

*1:基本的に、攻は脱がない

*2:ところで最後の2冊、大真面目な内容に思える人はその時点で認識を改めた方がいい。このようなタイトルは、BLにおいても間違いなくギャグである。ギャグと認識しながら、ライトに楽しむ。そんなBLもある